竹島問題

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島根県隠岐沖にある、岩礁から成る島。漁業権や海底資源をめぐり、日本と韓国・北朝鮮が領土権を主張している。[関連情報]

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竹島の概要

竹島問題とは

竹島(韓国名:独島)の領有に関して、戦前は日本の朝鮮半島進出が急速であったこと(1904年保護国化、1910年日本に併合)もあり、問題は表面化しなかった。1948年、初代韓国大統領となった李承晩(イ・スンマン)氏が1952年にいわゆる「李承晩ライン」を発表、韓国の海洋領域を一方的に宣言、このライン内に竹島が入っていることから問題が顕在化した。(引用元:All About 用語集 「竹島問題」

竹島という名の島は数多く存在するが、国際的な問題となっているのは、日本海上、島根県の隠岐(おき)諸島の北西約85海里にあり、韓国の鬱陵(うつりょう)島にも近い、小さな東西二つの岩島と、これに附随する多くの岩礁からなり、人の常住には適さない島のことである。
日韓両国はそれぞれ、歴史的にみても国際法の観点からも、竹島が自国の固有の領土であると主張している。まず韓国は古い記録に基づいて、新羅(しらぎ)時代から鬱陵島の付属島嶼(とうしょ)として竹島を領有してきたと主張する。日本はその記録の引用に疑問を呈するとともに、17世紀に日本が80年間鬱陵島を経営したとき以来、竹島は日本に属すると反論している。

Yahoo!百科辞典『竹島(たけしま)』より

竹島問題年表

外務省の見解

日本の立場

韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はない。江戸時代初めの17世紀初頭、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けて以降遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していた。中井養三郎は、1904年、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出た。これを受けた政府は、1905年の閣議決定をもって竹島を島根県に編入し、竹島を領有する意思を再確認した。
この問題の平和的手段による解決を図るべく、1954年9月、口上書をもって竹島の領有権問題を国際司法裁判所に付託することを韓国側に提案したが、同年10月、韓国はこの提案を拒否した。

韓国の主張

1894年9月3日付のフランスの日刊紙に掲載された地図では、日本と韓国の領海が明示されており、竹島(独島)は「于山(ウサン)島(I.Ouen-San)」の名前で韓国の一部とされている。これにより韓国は、日本の「1904年の日露戦争の勝利で、それまで主人のいなかった独島を自国の領土とした」という主張を否定している。
戦前の国際法では侵略戦争すら合法とされており、香港返還前にもしアヘン戦争や香港返還を裁いたら、おそらく侵略戦争を起こしたイギリスが勝っただろうから、そのような戦前の国際法をもとに1905年当時の竹島問題を国際司法裁判所で扱うのは疑問としている。さらに、日韓協定の紛争解決の交換公文の中で紛争の解決は国際司法裁判所でなく第三者の調停によるとされているとしている。
また、1592年に日本で描かれた古地図『朝鮮国地理図』に収録された『八道総図』には、対馬も韓国領として描かれており、韓国ハンナラ党らを中心に「対馬も韓国のもの」との主張が広まっている。

韓国政府による自民党視察団の入国拒否問題

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